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三叉路 [想い]

若きに日に手のひらをすり抜けていったものをもう一回見てみたいと思うのは老いの始まりだろうか。あの時、何か違う道があったのではないだろうかと思うことも増えた。戻らない日々をあれこれ考えても仕方ない、誰にもわかってもらえるわけじゃない。そんなことはわかっているし誰にも語ろうとも思わない。皆自分だけの物語を持っていてそれは現実の自分だけじゃなく、どこかの三叉路で違う選択をした誰かの行方を捜している。仮想現実の自分とは都合の良い自分であって、それが本当は破滅であったとしても見てみたいものだ。悲しみだってなかったことにできるしトラウマだって飾ることができるのだ。私のように何をやってもダメな人間でもね。過去を美しく見せるほど実は現実の自分に辟易する、悲しみは何をしても消せない。

戦争はゲームではない [想い]

戦いがゲームのように簡単なものだと勘違いしているような奴はいないだろう。戦争という奴に正義も悪もなく、兵士はただ目の前の敵を撃つことだけに生きて行く。一度倒れたらリセットできない、そしてそこに勇者も賢者も魔王もいない。殺人と言う愚かな論理だけがすべてを支配する。人類の性だというがそうだろうか、戦争は必然性の産物だと、しかしこの国の江戸時代を見よ。あの殺戮の戦国時代から250年も戦争のない時代を作ったではないか。決して不可能ではない、もしそれを平和ボケと言うならばそれは覚まさない方がいいのではないか。戦いの根源は欲求と不信だ、領土への欲求と相手への不振だ。領土については係争問題はあるにせよ、今から旧植民地を再び領土にしようなどと考えるものはいない。不信は本来外交で解決すべきものだがそれができていない。だが、安易に軍事力に頼るのは策がない。これはゲームではない。

火山、地質の素人語り

最近の火山活動と地震が多いと感じていますか、私はそうは思いません、確かに東日本大震災以降熊本地震も起きていますがだいたい10年以上被害のない地震がなかった年と言うのは数えるほどしかない。プレート型、プレート内直下型などたくさんのパターンの自身がある以上は避けられないのだと思います。しかも日本列島の抱える歪はたまりこそすれ減ることはないと思われます。また、過去に日本海やフォッサマグナを作ったようなダイナミックな地殻変動は今後も継続すると考えてよいのでないでしょうか。日本海の中央部を境にミニジャパンプレートの形成、琉球舟状海盆の海溝化と琉球プレートの成立、九州の分裂などの可能性があるとみています。これによってトカラ列島から九州の火山活動の活発化、阿武火山群の活動が考えられるのではないでしょうか。更にフィリピンプレートの沈み込み方向の変化により伊豆半島の地震活動、火山活動の活発化、富士火山のマグマの供給の再開なども起こる可能性があります。そして、フォッサマグナも再活動を開始する可能性があるではないかと。それも単位は万年単位ですので別に気にする必要もありませんが。ただちょっと気になるのは伊豆諸島近郊の地震活動が活発なことで伊豆大島や三宅島だけでなく神津島なども気を付けた方がいいかもしれません。東伊豆単成火山群は群発地震を伴うので予測はつくかもしれませんが、意外とマグマの噴出量が多い例があり火砕流は侮れません。

お菓子と共に [たび]

昔からお菓子に目がない、甘いしょっぱい和洋関係なくだ。旅の楽しみはほとんどが食で駅弁や郷土料理、酒と肴、そしてお菓子だ。最近はいろいろ工夫を凝らしたものが多いが余所の場所の銘菓を真似たものが多いのは少し残念だ。確かに餡には工夫がみられるがそのほかは同じで名前まで似せているものもある。宣伝活動に力を入れていったいどこのお土産だったかわからなくなった「ひよこ」や「かもめのたまご」のようなものもある。同じものを複数の店で製造販売している「くじら餅」「くるみゆべし」「笹だんご」のようなものもある。一方で現在の人たちに合わないのかひっそりと消えて行ったモノもある。故郷を離れた人にとって懐かしい思い出の味が消えるのはさみしい。それでも、同じ場所でひっそり頑張っているものもある、たいてい跡継ぎがいないので本当にもうすぐ絶えてしまいそうなものも多い。工芸品と違ってずっと保存しておくわけにもいかないので絶えたら最後である。旅のと途中で見つけたら迷わず暖簾をくぐろう、古き銘菓のよすがをもとめて

障害者のいきさつ2 [ためいき]

残しておいた脹脛の両サイドの筋肉をリハビリで強化します。尖足になってしまった指を伸ばそうと努力します。感覚がなくなっている足そのものに対処するため理学療法士によるマッサージを受けました。けれど、感覚はなかなか戻りません、尖足もです。結局、障害が残ってしまいました。佳き見ていないと歩いていても気が付かないでしょう、ただ坂道になるとよくわかります。踵が浮いて坂を上り、膝がかくかくしながら階段を下りる時やよくあちこちで転倒します、それに今でも膝から下はずっと正座の後のようにビリビリして痛いです。なるべく健常者に交じって行動します、だから低い山に登ったりもします。動いていた方が足には負担がかかるものの、その方がいいと言われました。忘れていましたが手術の時に損傷していた半月板も取ってしました。階段登りなどするとキュウキュウ音がします。障害者は障害と仲良くするしかありませんね、もちろん治る可能性を追いかけることも大事ですが。手帳は持っていないけどADHAだったこと(今でも?)や双極性Ⅱであることを隠して生きるより、私の人格の一部として認めてもらうしかないのです。もう、隠すことに疲れました、おかげで部長から降格しましたし今後の昇進の芽もありませんが、今はほっとしています。会社の為にはその方がいいと思います。

障害のいきさつ1 [ためいき]

大した障害ではないが30年以上障害者として暮らしてきた。事故の時に骨折により脹脛の中の動脈が損傷して出血を起こしているのを病院側が気が付かず、腫れが大きすぎると減張手術をしたものの、更に2日間放置され壊死が始まるころに気が付いた。鼠蹊部から血管拡張剤をいれカテーテルを入れたものの途中から先へ行かない、そこでいよいよ緊急手術をした。切断した方がよいという意見もあったらしい、
とにかく最初に脛骨、被骨の骨折によって急激に縮んでいる下肢を伸ばすこと、筋肉は日ごろ骨によって弓の弦のように張った状態にある、ところが骨が2本とも骨折してしまうと縮んだまんまなのでどんどん折れた骨が傷つけていく。そのため、延長法として踝にドリルで穴をあけそこに鉄の棒を差し込む、その鉄棒の両端に10キロ程度の重りをつけて引っ張るのだ。原始的かつびっくりするやりかただし、これを病室でやったのだからほかの患者もびっくりだっただろう、ここでは麻酔前なので激痛に耐えかねてタオルを口にかまされていた。私自身はほとんど痛みで良くわからない状態のまま、そのままストレッチャーに乗せられて手術室へ全身麻酔であっという間に暗闇の奥底へ誘われた。それから手術開始、脹脛側から切開しまず損傷した動脈を回復するために同じ足から静脈を切り取る。静脈には弁があるためこれを裏返し損傷した動脈のつなぎとする。次に折れた部分の接合だが、接着剤と言うわけにはいかないので脛側から切開し金属のプレートを付けることになった、これが意外と大きい。10センチ以上でねじが10本以上、(後にこれを抜く手術を半身麻酔で行うのだがまあ大工セットのようだった。)また脛側は事故の時の傷が酷く切開する場所を選ばなければいけなかった。なんとかここまでは順調に来たらしい、しかし最初の脹脛の壊死部分はどうしても切除しなければならない、そこでふくらはぎの筋肉の切除が始まった、そしてほとんどなくなった部分に反対の太ももからとった皮を張り付けてほとんど終了した。朝9時から終了は夜の7時、麻酔科、循環器科などの先生も交えて大変だったらしい。そして病室のベットの上で目が覚めたのでした。それから約半年後まで病院生活になりました。このあとリハビリに入るのですが、どうしても脹脛を取った分悪い足が使えません。

夏が終わるよ [昔語り]

夏が終わっちゃいますよ、学生の頃は何となく寂しかった。夏にまるで歌のような出会いがあるなんて滅多にない。それでも、高校生の時の部活の練習とか大学生の時に一人旅に出たときとかになんだか胸がキュッとなるような出会いがありました。たいていどれも淡くて遠い想いだけで終わったのですが、いくつかはもう少し深くて重いものになったこともあります。でもなんだか思い出すと恥ずかしくて、切なくて、悲しくて自分の若さ愚かさを感じてしまいます。どこかを探せばそんな写真が出てくるのでしょうが、見たら真っ赤になってしまいます。でも、今より人には優しかったような気がしますしもっと思いやりもそうだった気がします。賢治さんに憧れて今でも時々行きますが、岩手県ばかりに行っていたような、青いですね。あの夏は写真の中に、その思いは心の中に。

青春18きっぷよ [たび]

困ったな、青春18きっぷがあと3日分ある。9月10日が使用期限だから土日で使うとして8月27、28日、9月3日、4日と最終日でチャンスは5日間。それにしても青春18は新幹線が増えてそのあおりで3セクが増えたためにとても使いにくいものになった。そして夜行列車がなくなって更に非効率なものになった。勿論ムーンライトながらやムーンライト信州は臨時で運行される、だが北方面に使えたムーンライト越後は今はない、その上指定席はなかなか取れない。何度か指定席をとって使ってみたがずっと以前から満席なのに実際には隣には誰も乗って来なかったことが信州やえちごの時は多かった。それどころか大半の席が空いていたこともある。昔は隣に人が来るのが嫌で隣の指定席を買って2席分で使うという連中も結構いたが、今は席ごと空いている場合が多い。推測だが席を買い占めてネットで売って差益をとる輩が結構いるのだろう。ダフ屋行為なので取り締まることは可能だが信州は席がこれだけ空いているということは買う人が少なく意外と儲からないだろう。一方、ながらの方は結構需要がある様で空席は見られるがひどくはない。だが、どちらにせよ昔のような普通の快速にしてもいいのではないかと思う。大垣行き、上諏訪行き、長岡行きの夜行があった時代の方が便利だった。早いもの勝ちだから、たしかに2時間ぐらい前から並んだけど。それ以外にも長距離各停が少なくなったのも打撃が大きい、停車時間も長かったから駅弁買うだけでなく駅前をうろうろできた。駅弁と言えばまだ立ち売りがいて、窓を開けて法被姿のおじさんから弁当買ってた。本当に青春18だったな。

夏休み取りました、行ったのは [たび]

平泉、松島に行きました。何度目だろうか、二桁には行っていないだろうけど確実にそれに近いくらいになっている。そして今回宿泊は仙台と遠刈田温泉、特に遠刈田温泉は白石蔵王から毎回スルーで山形蔵王に抜けるので一度行ってみたかった温泉です。赤色のちょっと金気がする熱い温泉でした、共同浴場に行く時間がなかったので残念でしたが、なんとなくのんびりした温泉です。この辺りの温泉は未踏の温泉が多くて峩々温泉や鎌先温泉、青根温泉も行ったことがありません。そうそう、たまや旅館に泊まりましたが、床がギシギシと音を立てるけれど畳や壁は新しいしそのギシギシ廊下も磨き上げたように光っていました。なにより食事が小鉢のオンパレードでミズやナラタケ、イナゴ、ウドなどの品数が多く、そしてちょうどいい量で少々食が細くなり重いものが辛くなった自分らにはうってつけでした。女将さんの牛タンのこだわりもいい塩梅でした。お気に入りの宿に登録しておきます。次の旅は当分先かな、青春18の旅は別として。

ちょっと気をつけねば [ためいき]

暑いから水や飲料水をがぶ飲みしている。カロリーぜろだけじゃたまらないので100%ジュースを飲んでしまう。これがいかんとわかっているですがね、どうしても手が伸びる。野菜ジュースも主成分は砂糖(ショ糖)ですからね、添加はしていなくてもにんじんとかパプリカとか健康含んでいますから。むかし、にんじんGIは度くらい上がるかなと思ったら急激で驚いたことあります。ブドウ糖だとダイレクトですからね、蜂蜜なんかも早いですよ。体重落とすために飲んでいるフォシーガはやたら空腹になるということがわかっています。本当はそこで我慢するとベストなんですが、くらくらしたことがあるのでなんか怖いですね。酒もよくないですから、今はすごく少なくしてます、月に1,2回しか呑みません。それも相当我慢してます、前は一回にビール大ジョッキ4杯くらいチューハイを3杯それに日本酒を2合くらいが平均だったので、え、大したことない?あんまり強くはないから自分でちゃんと家に帰れるラインは守ります。酔ってつぶれたことはないですからね、飲むと明るくなるし。ああ、それにしても気をつけねば。
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