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田舎の正月 [懐かしい]

大晦日は田舎では大掃除も松飾も終わり、お節料理も仕上げてそばを作って食べればもう正月、なんて感じだった。家族総出で大掃除を、仏壇や神棚の汚れを払い煙突の煤を竹で落とす。家の周りの地蔵様や石塔も洗い清め榊をささげる。障子の張り替えを行い室内の清掃を行会う。外でもち米を蒸しみんなで餅つきを行う、そしてついた餅でお鏡餅、餡餅、餅を作り鏡餅は神棚、竈、甕に供える。その合間に出来た餡餅を食う。餅つきは結構重労働で3臼もつくと腕がパンパンで腰が痛くなる。お説料理は大したものはないが、野菜の煮物(大根、ニンジン、サトイモ、椎茸、牛蒡)なます(大根、ニンジン、干し柿)は自家製、ブリの刺身などを作る。野菜の煮物にはいりこだしとシイタケだしで高野豆腐やこんにゃくも一緒に煮る、これに白菜と大根の漬物、汁ものだけである。ヘルシーと言うか貧しいと言うか、これが定番の田舎の正月だった。大みそかの夕食は年越しそばでそれが私の担当だった、椎茸の戻し汁といりこでだしを取り大根、ごぼう、ネギをいれた醤油、みりんで味をつけるシンプルなものだった。こういう物ばかり食べていれば痩せていただろうに。

冬枯れ [双極性]

この錆びた都会の黄昏に
うらぶれて行く宛てもなく彷徨う
木枯しに突き飛ばされ
時雨に叩きつけられ
震える手をポケットに突っこんで
涙を流すことに疲れて乾いた眼をこすりながら
それでも彷徨うのはなぜ?
この世に生まれてたくさんの人の愛情を受けながら
折角ここまで生きてきたのに
何もかも捨てたのはなぜ?
ついていなかったわけじゃない
努力を惜しんだわけでもない
ただ自分が思う自分になれなかった
ただそれだけさ

年の瀬迷信 [昔語り]

29日に餅つきをしてはいけないと言います、「苦を持つ」と言う迷信です。内の実家ではこれを守っていました、また年の瀬は神社までの参道沿いに綱を張って結界を結び鬼神が入り込まないようにしたりします。今では交通整理の綱と間違えられたりします。正月飾りも土地土地で微妙に違うようです、みかんの代わりに橙を飾るところもあるし裏白を飾るところもあります。ユズリハや榊も使います、松飾もマツだけのもの松竹梅の3つがそろっているものなどがあり、実家は松竹梅でそれぞれを取ってきて自分たちで作りました。

努力が嫌い [想い]

昔から努力が苦手だった、自分でそう思っているだけかもしれないが、とにかく一部を除いて勉強は嫌いだった。好きなのは地理と化学、生物であまり受験に役立つものではなかったが、この3科目だけは関係する本を飛んだ。スポーツは特異ではなかったが球技が好きで部活もやっていた。怪我をするまでちゃんとした部活だった。すぐ顎を出すへたれだったが、叩かれてもちゃんとやっていた。これで何処が努力嫌いなのかよくわかりませんが、怪我で留年した後は授業は出ないことも多かったし、放課後も女の子とチャラチャラしていました。それで、希望の大学に合格できなかったのかな。浪人期間だけ少しは努力しました、これは浪人して前の年に合格した大学より悪かったらひどくカッコ悪いので、そういうことがないようにやりました。でも、部屋と予備校に籠ったわけでもなくなんとなくやった、というう感じです。本当にあらゆることにいい加減なので自己嫌悪に良く陥ります。今でも

昨日の書き残し(足利、富岡) [たび]

忘れていました、上信電鉄に乗るときは一日乗車券より、JRが出している群馬ワンデー世界遺産パスの方がちょっぴり安いのでそちらをお勧めします。こちらは群馬県内(一部栃木県の両毛線、埼玉県の深谷以北の高崎線)のJRと東武線、上信電鉄、上毛電鉄、わたらせ渓谷鉄道にも乗れる非常にお得な切符です。フリー区間内のJRで売っています、指定席自動券売機でも買えますので。それと昨日書いた高崎天然温泉はHPと実物が違っている感じですが、湯はとても温まるいい湯です、500円と銭湯とほとんど変わりないので気楽には入れます。そういえば知らなかったことが、群馬と言えばやきまんじゅう、みそパン、おっ切り込み、こんにゃく、水沢うどん、ソースかつ丼、と思っていましたが、ぶたモツの煮込みが名物だそうで知りませんでした。

富岡製糸場と貫前神社 [たび]

足利フラワーパークに行ったついでに高崎で泊まって上信電鉄で富岡製糸場と貫前神社に行ってきた。足利フラワーパークはなばなの里には勝てないけれど広い園内にその植えている花ごとのテーマでイルミネーションが飾られて、特に藤の房と薔薇のトンネルが綺麗でした。しかし、私たちは富田から歩いたからよかったものの、道路は駐車場が小さいせいか大渋滞でしかも昼夜は入れ替え制なので早く中で待っているのもできないのかもしれないし、それと結構寒いので駅から歩きが正解かもしれません。翌日はまず貫前神社に行きました、神社と言うと普通は山に頂上近くとかにあるんですが、ここはいったん急な登りと階段を上がるとそこからまた階段を下りるという不思議な神社で拝殿の後ろにある本殿の絵がすごくきれいでした、ご朱印をもらい、駅まで戻る途中の和菓子屋さんで草餅と生どらを買いました。富岡製糸場は200円でガイド付きのツアーに参加しました。、倉庫や工場がいつの間に国宝になっていたのか知りませんでした。ガイドツアーはほぼ初めて(知らぬ間に紛れ込んでいたことはありますが)でしたが、これは意外といけます。富岡駅周辺がとてもきれいに変わっていて驚きました。それから高崎に戻る途中でさくらの湯に入り高崎駅で土産物を買って帰りました。そうそう、フラワーパークに行く前に佐野でラーメンを1時間半並んで食べました、やっぱりしょっぱいな。(麺屋ようすけ)

笑ってよ [想い]

俺は大丈夫かと
夕陽に背を向けて呟いてみる
決して賢いわけでなく
愚かさを振りまいて生きてゆくのが常だった
そこにいる人たちが少しでも笑ってくれるなら
それでいいと思ってた
まるで道化師のソネットのようだね
それでもいいと思っていた
この街がどんなに暗く荒んでいても
暖かい灯を一つ掲げた小さな家でありたい
例えお金はなくとも
例え世界から責められても

あの日城下町で [昔語り]

思い出を足元において古い町に降りてみた。まだ若かった頃の少し悲しい寂しい虚しい思い出はやっぱりついて来た。昔は駅前にロータリーがあって、真ん中にはブロンズ像があった。橋を渡って駅からまっすぐに伸びる道はそのまま城跡に続いている。かつてアーケードの在った通りには開いている店もまばらで、その店も多くは変わっていた。そんなことを考えながら歩いていると見慣れた征服の高校生とすれ違った。遠い日の記憶がよみがえる。裏道を人目を避けるように歩いていた、この道に入るとつないでいた手を放した。そんな日があった、あの人はどうしているだろうか。そんなことを思う駅に降りたのは少し前の大みそかだった。

夕陽が泣けと [想い]

いやに夕日が真っ赤じゃないか、冬の夕陽なのに合歓の花を思い出したよ。夕日は秋と決まったものじゃないんだな、空気は冬の方が澄んでいるし、昨日は富士山が真っ赤に染まっていたのを久しぶりに見たな。だんだん何を見ても寂しさを感じる湯になってきて年なのかな?迫りくる人生の冬におびえているのかな?だけど老いると言うことを怖れていてもどうしようもない。出来る範囲で生き方を変えて行けばいい、全速力で駆け続ける必要はない。そんなことを言えるようになったのはいつからだろう、才能も器も小さい自分が強がって生きてきたのは理由があった。どう考えても田舎のなんの縁もゆかりもない、そして才能や能力や包容力もない私が大きなことをしようなんて無理に決まっている。それでも、出来ることにはチャレンジしてきた。でも2年休んで油も抜けてやっと本当の自分に戻りつつある。これがたぶん一番いい状態なんだろうな。ではクリスマスの準備でもしようか。

足利フラワーパーク [たび]

明日、足利フラワーパークのイルミネーションを見に行こうと思う、どうやら物凄い人らしい。行く前に佐野に行って佐野ラーメン食べてから行くつもり、遅くなるので高崎に泊まって翌日は富岡製糸場と一貫前神社に行こうと思う。足利は栃木だから先日太平山神社に行って以来だ、実は足利と太平山は近かった。群馬は前に少林山にご朱印をもらいに行って以来だ。今回は佐野ラーメンとソースかつ丼あたりで勝負するか、たかべんの駅弁も捨てがたい。だるま弁当ではなく幕の内系がおいしい。帰りにさくらの湯も立寄ろうと考えている。
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