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日長の日 [いなか]

一年で一番昼が長いこのごろ、病気になって以来残業と言うものを止めているから帰りはまだ明るい。つい10数年ほどまでは帰りがまだ明るいのではなく帰りがもう明るいなどと言うこともあったのに、不思議なものだな。一度病になると何となくむやみに明日セルはふかさないようになる、ふかせないと言ってもいいのかもしれない。元気なうちはいいがどんどん衰える一方だから無理はしない。出世やお金のために無理をするのは馬鹿げていると即断できる自分が凄い。負け犬?そう言われること自体がどうでもいい、向上心は別の所で使うよ。今日は落ちる夕陽を眺めていようかな。
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山菜旨いのに [いなか]

青葉の季節になりました、田舎にいたころはワラビだのゼンマイだのがいっぱい出て母親と背負子を背負ってとって歩いたものです。ワラビはあく抜きをしてそのまま塩漬けにする、ゼンマイも開く抜きをして茹でて干して使う時は水で戻して甘辛く煮つけました。フキノトウや土筆はもっと早い時期なのですがフキノトウはてんぷらや蕗味噌にしました、土筆は袴を取り茹でて灰汁を取り和え物にしました。芹は田んぼの畔に沿って生えています、苦みと香りは天然モノならではで御浸しか卵とじにしました。
ノビルは生で味噌をつけてかじるか葉ごと茹でて酢味噌を掻けたりしました、てんぷらにも出来ます。タラの芽はてんぷらが一番です、採る時に注意しないと棘で怪我します。ウドは良く採られておりきんぴらや煮つけにされ、ユキノシタやイワタバコはてんぷらで食される。九州は北国より山菜やキノコがあまり利用されていません。コシアブラも九州にあることはありますが食べられていません。クサソテツ(こごみ)やシドケもあまり食用にしない。教えてあげたいと九州に持ち帰ったこともあるがどうも評判が悪かった、おいしいのに。

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ネコ駅長さん頑張って [いなか]

先週、高校時代に通学に使っていた駅にネコ駅長が就任した。今では増えたネコ駅長だけど、野良猫として住み着いて10年住んでいたものを駅長にしたらしい、豊肥本線というこの線は山間部を縫って走っており、大きな河川にも沿っている。災害も多くよく不通になる、あの熊本地震でも被害を受けまだ復旧していいない。その前にも3度ほど大水害によって長期間不通だった。私が乗る駅はもっと小さい駅でそれでも通学用列車は3両編成で満員だった。今はほとんど乗る人もいないらしい、そして降りる駅はネコ駅長の豊後竹田駅だった。駅から真っ直ぐ行って隧道を抜けて左に学校があった。川沿いに近道があって部活をぎりぎりまでやって近道を走るのが日課だった。高校の裏手が城跡で桜の名所としても有名で、城下町は盆地の中にこじんまりとまとまって武家屋敷や古い和菓子屋があった。いまでも落ち着いた街並みと静けさが残っている。高校の制服を見ると昔を思い出します青春アルバムの大きな1ページをくれた街です、訪れてくれる人が少しでも増えますように、ニャー駅長が招き猫になるよう祈ります。

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東風吹かば [いなか]

東風吹かば匂い起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
もう梅も盛りを過ぎそうです、桜の花も好きだけど梅の花の香は本当に香しい。ちょっと梅干しの酸っぱさも感じつつ。田舎の庭を囲むように梅の木があって、また縁側の傍にはしだれ梅がその香りを風に乗せていました。梅雨ごろには梅の実を収穫して梅干しや梅酒につけていた。父が亡くなり剪定をしなくなった庭は荒れて梅の枝も伸び放題で桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿と言うように花も実も随分寂しくなった。田舎で主を失った家たちが雑木や雑草に覆われて朽ち果てていくのを見るにつけ、栄枯のよすがを思う。方丈記の「世の中にある人と住処とまたかくの如し」と言うのが心に沁みる。

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いなかものがたりの思い [いなか]

都会暮らしが田舎暮らしより遥かに長くなってしまった。それでも旅に出て田舎の民宿なんかに泊まったりすると宿の主と農作業や作物の話で盛り上がってしまう。専業農家ではなかったが近所の農家に日雇いでバイトしていたのでいろいろな作物に携わった経験がある。多いのは水稲と葉タバコと養蚕だが茶摘みや陸稲、大麦、小麦、はだか麦、野菜では大根、サツマイモ、ナス、ピーマン、サトイモ、白菜、金時人参、九条ネギ、聖護院かぶで豆類だと小豆、落花生、インゲン、エンドウ、ソラマメなど、瓜ではキュウリ、シロウリ、ニガウリ、ハヤトウリ、カボチャ、スイカなどを作った事がある。でも今から戻って農業をすることは無理だと思う、体力が無いそれに尽きる。数年前に山菜採りに行ったが現地に到着する前にへたばっていた、本当に情けない田舎者。
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最近あちこちでイノシシや猿が [いなか]

野生動物が出没するというニュースが多い。イノシシ、シカ、クマ、果てはキョンやアライグマ、ハクビシン・・・。外来種は別として昔は私の実家のような田舎でも猿が現れるこてゃ滅多になかった。イノシシやシカなんてあったこともなかった。それが今では都会にも表れる、自然が回復したからではない、たんに人がいなくなって動物が逆に進出してきただけだ。田舎はもっとひどい、実家の方では耕す人がいなくなった田畑は原っぱになり進んで森となった。植林された林は手入れが行き届かず下草が繁茂している。わずかに残った田畑や果樹園は動物たちのえさ場になっている。シイタケの原木を取っていた椚林は荒れ放題、タケノコを掘っていた竹林はあたり一帯を飲み込んでいる。みんな過疎によって人間が活動できなくなったからだ。実際に帰ったときに遠くからイノシシを見た、家から200mもないだろう。そういえば猟師もいなくなった、子供のころは友達の家が猟師で野生動物を食わせてもらったことがある。人が減り続ける限りこの状態は続くだろう、誰が悪いと言うわけではないが。
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限界集落 [いなか]

生まれたところは大分県の山里、小さな駅があって駅前に国道が通っている。そこから徒歩20分くらいの所に40軒ほどの集落があった。小川の傍には水田があって台地はタバコ畑が広がっていた。子供のころは母親と山菜を取ったり薪拾いをしていた。田植えや稲刈り、たばこの植え付けと刈り取りがアルバイトだった。まわりはまだ働き盛りで祭りも活気があった。しかしあれから40年以上が経ちわずかに数軒を残すのみとなった。田や畑は荒れ山は放置され野生動物が我が物顔で歩き回る。たまに帰ってみるとまるで「まちぼうけ」の荒れ野が待っている。ここだけではない日本中がこうなのだ。あらためてこの年月は何のためのものだったのだろうか。ほんとうに豊かになったのか、時計の針は逆回転している気がしてならない。
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消えゆく行事 [いなか]

ハロウィーンとかサンクスギビングとかなんだか馴染みのないもので街は盛り上がる。そして12月になればクリスマスがやってくる。年中なんかやっていないと客が来ないと言うのは、本当は不景気なんだろう。SALEの文字がいつまたっても消えないショウウインドウに気がつかない。この国にも二十四節季や季節の行事があったがどんどん廃れて言っている。別にナショナリストでもないが消えゆくなら残す心が欲しい。昔住んでいた田舎では亥の子や精霊流し、お施餓鬼、お接待、伊勢講、大師講、お日待、庚申様、灌仏会などの行事があった。今では大半は維持できず消えてしまった。一度途絶えたら復興できない残せるものは残していきたい。
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どっどどどどうどどっどどどどう [いなか]

先週は台風が来たが東京は意外と拍子抜けだった。恐らくあの台風はなりは大きいが締りがなかったのだと思う。以前にもこういう感じの台風があった。しかし、今回の台風は台風一過の秋晴れをもたらした。それは久しぶりの美しさで富士山や筑波山がくっきり見えた。最近の台風は過ぎ去ってもどうもすっきりしない傾向があったが、これぞ秋台風とい感じだった。野分がくると秋の実りを吹き飛ばしてそれを拾いに良く行ったものだ。風の又三郎の“どっどどどどうどどうどどう、青い胡桃も吹き飛ばせすっぱい花梨も吹き飛ばせ、どっどどどどうどどうどどう”のようだった。栗やクルミ、梨(かたくて小さい)、アケビやヤマボウシ、ナツメなんかも落ちていた。エビヅルのつるが低いところに降りてきて口が紫色になるまで食べた。(エビヅルは田舎ではガラメと言い、山葡萄によく似ているがヤマブドウより実が小さく甘い。)そんなことを思い出した、故郷の今の荒れた山野ではもうそんな楽しみも無くなったようだ。青空にそんな思い出が吸われて消えた。
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新茶の季節 [いなか]

新茶の季節だね、この時期のお茶は一番茶と呼ばれて特に渋み甘み丸みがうまく溶け合って美味しい。小さい頃ばあさんと畑の垣(田舎では畑けんくろと呼んでいた)にあるお茶の木から新芽を摘んで五右衛門風呂の釜に入れて茶揉みをした、あんな熱いものを足で踏んでいました。それを縁側に敷いた新聞紙に広げて更に手で揉んだ。高級でもなければ丁寧な仕事でもない新茶だがぬるい湯で入れると何とも言えないさわやかなお茶になった。そんなわけで小さい頃はお茶は作るもので買うものではないと思っていた。また、煎茶以外の番茶やほうじ茶などは知らなかった。そして値が張るものとはさらに知らなかった。
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