So-net無料ブログ作成
検索選択
ものかたり ブログトップ
前の10件 | -

夏の夜の物語 [ものかたり]

誰にもある夏の夜の不思議な思い出でしょうか。霊とかそういう神秘主義的なものを信じない私であっても出会ってしまった不思議な体験です。その日は梅雨が明け夏越し祭りの夜市が始まる日でした。子供たちは家に帰ると浴衣に着替えて商店街に飛び出しました。たこ焼きやリンゴ飴などの食べ物屋や金魚すくい、くじ引き、射的などの屋台が並びにぎわいます。私は家が遠いので帰ると直ぐに着替えて自転車に飛び乗って商店街を目指しました。家から商店街までは2キロほどの下りです。ライトをつけて懸命にこいでいると前に水色の浴衣の女の子が歩いていました。髪が長く後ろで束ねていていかにもか細いという風で赤いサンダルを履いていました。誰だろうと思ってすれ違いざまに振り返りました、しかしぼやけた顔はいかにも白く細く更に暗くてよくわかりませんでした。まあだれでもいいか、そう思いながら友達との待ち合わせ場所に行き、皆と商店街をそぞろ歩き遊びました。さて帰る段になってそういえばさっき追い越した少女は誰だったのだろう、夜市ではすれ違わなかったが。皆と別れて帰りの坂道を懸命に漕いで上がっていると前の方にあの水色の浴衣が見えました。僕は誰だろうな、見たことないなと想いながら隣りをすり抜けようとしました。すると何かが触れたような気がして振り向きました。すると女の子の姿はなく道端の薄が風に揺れていました。ただ、これだけのことです、これ以上は何も起こらなかったのです。身の毛のもよだつような後日談も涙なしでは語れないエピソードもありません。ただ、この夜市で水色の浴衣を着た人に会った友人はいませんでした。何かが私の前に現れそして消えたそれだけのことです。

鉱物か [ものかたり]

ガラクタの中にポツンといるとじぶんと同化してしまうらしい。昔、鉱物採集に憧れて近所の山や少し離れた鉱山跡にバイクで行っていた。貝や木の葉の化石を採ったり鉱物をあさったりした。だが残念だがもう、それらの石は実家にもほとんどないようです。錫石と蛍石、方鉛鉱はありました、それ以外はどこかに消えていました、日本式双晶や煙水晶、方解石、モナズ石、赤鉄鉱、などあったと思うのですが。今、家にあるのはヒスイとヒスイモドキ(ロデイン岩)、碧玉とネフライト、玉髄、メノウ、亜炭、石炭などです。どれも価値は低いですけど、砂金もごく微量ありますがゴミにか見えません。時間があればまた行こうかな。

御先祖様は [ものかたり]

私の両親は同じ名字だった。だが、微妙に字が違う。親父の苗字は草冠が十十の形になっている、お袋方はそれがなんだかもと妙な両端が跳ね上がっている。そして家紋がまた違う、親父方はただの下がり藤、お袋方は〇に登り藤、親父はよく下がり藤が本家の藤原の紋だから、こっちは偽物だと言っていた。親父方は旧家で室町後期まで墓などが遡れると威張っていた。一方お袋方も家には槍や刀などがありまた古い系図があって旧家ということになっていた。こっちはさかのぼれるのは江戸前期までで苗字帯刀を許された肝煎りだったらしい。両家とも古い蔵があっていろいろなものがあったのだが子供たちがみんな売ってしまって今は何もない。刀や槍は子供のころ遊んでよく叱られた、とても重かったのが記憶にある。とはいえ、九州のド田舎の事だから系図も本物ではないのは確かだろう、先祖の最初が藤原魚名になっているし、確かに古いが紙の字が読み取れるのだからせいぜい江戸時代につくられたのだろう。だからかどうか江戸期になると突然墓が藤原〇〇何兵衛になっている。ハクをつけたかったのだろうな、大友氏の下で地侍だったのが除封で新しく来た中川氏に士官出来なかったのだろう。

帰化人たち [ものかたり]

埼玉県日高市に高麗と言う場所があります、朝鮮半島にあった高句麗の遺民が日本に来て土地を与えられた場所と言われています。高麗神社があって将軍碑が立っています。また、秦の遺民が秦氏で秦野などにその名前を残しています。任那や百済の遺民も近畿圏を中心に広がっており西文氏や東漢氏などの渡来人系がたくさん登場します。特に陶器の世界では土師器から須恵器の登場に大陸の技術が取り入れられたと考えられます。既に古代の部民に土師部以外に須惠造部などが登場しています。時代は新しくなりますが有田焼や薩摩焼の担い手は朝鮮出兵時に連行された人々でした。そして日本初の磁器や赤絵などが花開くのです。

梅雨散歩 [ものかたり]

どこまで行っても青い森、
杉枝に導かれるまま雨露は音もなく地に浸みて消えゆく
風吹けば里山桜より降り注ぐ露は真昼の流星雨かも
里山を歩いてゆけば五月雨が駆け下りながら足払いする
早苗揺る谷地の小道を歩きなば蛙の声波共に揺れつつ
梅雨の晴れ間はいいもんだ

賽の才 [ものかたり]

人生が二度あればなんて思うことしばしば、その動機はだいたいギャンブルを当てて株で一儲けしてなんて全く煩悩の塊だ。そんなことではなくて、いくつかの人生の分岐点を前と違った方向に行ったらどうなるのだろう。そして、あの時何も言えなかった人に想いを告げていたらどうなっていただろう。おそらくは予想道理の結末だったにせよ、それでさっぱりとして思い出すこともないかもしれない。最大の分岐点はバイクで学校へ行かないことを選んで事故に合わないようにしたらどうだったのだろう。3年間部活をしてたぶん手近な国立大学進学したのだろう。そうしたら、どうなっていただろう?あまり悪い道にも入らずに地方公務員でもやっていたのだろう。その後お見合いでもしていたかもしれない。すべてが実はすごろくの賽で決められていたのかもしれない。

山男と百姓 [ものかたり]

爽やかな風が吹いてきたじゃないか
どうだいそっちの按排は
どうもこうもないよ麦は青々しているし菜種はもうすぐ収穫だ
そうかいそうかい田植えは済んだかい
先週田んぼに水を張ったし苗床に籾も撒いた
代掻きして畔を塗ったら田植えができる
そうかいそうかい風になびく金の穂波と緑の絨毯がまた見れるわけだ
気楽なもんだなこっちはこれからが大変だ
そうかいそうかいもう邪魔はしないよ
そよ風の中のお話です

床屋の親父と病語り [ものかたり]

知り合いの床屋の親父は数年前に悪性リンパ腫で入院した。そして半年くらい後に床屋を再開した、化学療法と放射線療法の併用だったが最初は酷く辛そうだった。しかし、1年経ち2年経ちとみるみる回復していった。私はそこを引っ越してちょっと奥の方へ移ったが、なんとなく気になるので月に1度1時間かけてそこに髪を切りに行っている。20年近くずっとで何となく替えづらいのと親父が元気でやっているかどうかを確かめたいというのもある。いつもくだらない話をしながらお互いの病気の話を笑い飛ばして1時間を過ごす。3,500円は高くない、電車賃を入れるともっとするけれど。

伊勢物語に寄せて [ものかたり]

名に背負はばいざ言問わむ都鳥我想う人はありやなしやと
伊勢物語の八つ橋の段でしたか、在原業平の歌です。東京では都鳥はユリカモメのことです。言問いだんごという物もあります、スカイツリー前駅は改称前は業平橋でした。伊勢物語由来の名前がよく伝えられています。
筒井筒井筒にかけし麻呂が丈過ぎにけらしな妹見ざるまに
こっちも伊勢物語ですが業平ではなさそうです。幼い子供たちの背比べの様子とそれからの日々の長さです。
世の中にさらぬ別れもなくもがな千代とも祈る人の子のため
家族との永久の別れ、子供は永遠に生きてほしいと願う。
つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日けふとは想わざりしを
無常の来るはまえからそういうことがあるとは知っていたがこんなに突然に来るとは思わなかった。
恋と死と永遠のテーマです。

無頼 [ものかたり]

抗えば生き難く流されれば心重く
唯己の欲するところに従い
秋の陽の短きを憂ふ
いざ旗をたてよ剣を抜け
ひとたび死地を求めし者は
何に驚かむ何に引かむ
振り返ればかぎろひの見ゆ
いずくへとも帰るところなし
今日ここに刃を交えむ
誇りと夢を抱きつつ
前の10件 | - ものかたり ブログトップ
メッセージを送る