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ヒスイ拾いの成果は [ものかたり]

何度もヒスイ拾いに行っているのに、先日はまたネフライトの色の薄い奴をヒスイと間違えた、透過性はあるし色は黄緑だしだけど表面がちょっとざらついて結晶も大きい。鑑定をしてもらったわけじゃないので同じヒスイハンターの人にわざと見せたらその人は何も言わずに笑っていた。やっぱりネフライトだったんだなと思った。11月の戦績はヒスイが2個(品質が悪い)、ネフライトが6個だった。ネフライトや玉髄はなるべく持ち帰らないようにしているが捨てがたいものもあってついつい増えてしまう。特に玉髄の中の青と緑が入ったものは美しい。年内は終了で来年の3月まで自粛します、今回も波凄かったし。
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彼岸過ぎまで [ものかたり]

秋のお彼岸に墓掃除に行く。その道すがら真っ赤に咲き誇る彼岸花の群落があった。たくさんの赤い、いやもうそれは血の色より濃く恐ろしげな風車が足元から突き上げるような恐ろしい場所。今でこそ巾着田のように観光で見に行くこともあるが、昔は本当に彼岸に咲く幽霊化、または曼珠沙華の名の通り、悪行を払う天の花、この場合は白色花で実際に私の田舎には白色の彼岸花が時々あった。イヌサフランのピンク色と間違える人がいるらしい、どちらも花が咲くときには葉っぱがないからなのか?彼岸花には毒があるのは有名だが、あの根茎には澱粉が含まれていて昔は水にさらして澱粉をとって食料にしていたらしい。たくましいなとおもう、健康毒抜きして澱粉をとると言うのは日本やアジアのお家芸で栃の実やドングリ、ソテツ、更にはシアン化合物が含まれるキャッサバなど非常に多い。話はまた彼岸花に戻るが、此の花は繁殖力旺盛ですぐに繁殖地を広げて行き、庭の中に侵入してくる。縁起が悪いと親父などは目の敵にして除草していた。民間信仰でこれをすりおろして癌に効くと言われていたこともあった。また、今年も野道や田の畔に燃えるように咲き誇っているのだろう。
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ホテルで出会ったもの [ものかたり]

私が地方都市の駅近の安ビジネスホテルに泊まった時のこと。夜11時ごろにドアをノックする女性の声がする。開けてみるとみると若い女性が立っていた。「何ですか」と聞くと「水漏れしていませんか?」と言う、「いや」と言いながら天井を見ると確かに水がしみだしている。「あ、漏れていますね」「やっぱりそうですか、フロントに掛け合ってもらえますか?」「はい」「ではすいません」、女一人では言いにくいのだろう、仕方ないか。そう思い、フロントに行き、係の人に見てもらった。ホテルの支配人らしき人が来て「申し訳ございません、部屋をお取替えいたします、ただ当ホテルは本日水漏れした一階以外満室でございまして、近隣のホテルを用意いたします。申し訳ございません。」私以外の数人も他のホテルに移る様だった。しかし、その中にあの女性はいなかった。そして別のホテルへ移動したのは1階部分の10室10名の男性だった。それ以上は調べようとはしなかった、どうでもよいことだと思った。これだけの話である。
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敬老 [ものかたり]

敬老の日が来るが本当に老人を敬う人など何人いるだろう。それに最近は70歳位では腰も曲がっていない。昔は60歳と言えば年寄りの中に入っていた、還暦は長寿の祝いの一種だった。船頭さんという童謡を知っているだろうか、そこに“村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん”と言う歌詞が出て来る。戦前に作られたものだが当時は60歳でお爺さんだったのだ。戦後だって長い間定年は55歳だった、それが60歳になり65歳になり70歳にしようとしている。私たちはいったいいつまで働かなきゃいかんのだろう?
私にはもう祖父母はいない、自分の両親妻の両親ともに他界している。特に私の祖父母は生きていれば120歳を超えるほど昔に無くなった。祖父は明治の人だったので温和だったがどこかに威厳があった。養子であったので相当苦労したらしいがその話はあまり聞かなかった。ハゲ頭に手ぬぐいを巻き、手足で機用に縄や筵を編む姿が印象的だった。時々シベリア出兵でチタまで行った話や満州の話をしてくれた。祖母とは茶の摘み取りと焙煎、小豆の虫拾い、山菜を大釜で茹で筵の上に広げて干すとか農作業の手伝いをさせられた。子供の頃の体験は今に生きてはいないけどいつかまたそんな時代が来るかもしれない。

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事故とリハビリ [ものかたり]

 事故から3か月が経ちリハビリが始まった。切断は免れたものの久しぶりに見る私の右足はどす黒く金属プレートを入れた縫い目だけが白く浮き上がっていた勿論膝下は感覚がない。脹脛は壊死したためにそぎ落とされ皮膚と血管を移植した部分はメッシュの後がくっきり残っていた。半月板を取った膝はほとんど曲がらなかったし足首に至っては真っ直ぐのまま固まり指はハンマー状に縮んでいた。それから毎日リハビリで、これが泣くほどに痛い。その前にまずは久々の入浴です。自力で立てないほど筋肉が落ちていたためかごに入れられリフトで浴槽に投入された。そして看護学生が数人で全身をこすり洗い、まるで根菜の様だった。その汚れたるや酷いものであった。その後浴槽で歩行練習して体を慣らしなが筋肉を増やしてゆく。そして松葉づえをつけるようになったら膝を曲げる訓練、これは理学療法士のある程度力技。足首を曲がるようにするために壁に自分を縛って立つ。 そして感覚を戻すためのマッサージといえば聞こえがいいが、理学療法士が揉む、叩く、これが最初は何ともないが神経が戻り始めると激痛である。毎日リハビリの日が続く、いつか自分で歩けるようになるんだと思えば頑張れる、でも痛い。そして、これから3か月間でこの病院からの脱出に成功する。
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魂は鋭敏かな [ものかたり]

別に霊感などないが時々首筋からものすごい何かを感じて全身が凍りつような感覚になるときがある。これが2通りあって一つは本当に怖い目に合ったり怖いことを想像したときになる。もう一つは全然何もないのに何も考えていないのにあの感覚が起こる。そういうう時はしばしばよくないことが起きる。海に行ってその感覚に襲われてさっさと帰ろうとしていたら救急車が来て騒いでいる。どうも水難者が出たらしい、どうも助からなかったようだ。野辺のお地蔵様なんて田舎道には昔は沢山あって、昔の飢饉や戦なんかで亡くなった人の冥福を祈って建てられたものが多い。そんなところを通るときはだいたい手を合わせるが、見落としていたところで恐ろしい感覚に襲われてしまったことがある。由緒までは聞かなかったが、何かしらあるのかもしれない。時々虫の知らせと俗に言われるものはあるような気がする。両親の時もなんとなく分かったし。本当はただの精神疾患なのかもしれないけれど。
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夏の夜の物語 [ものかたり]

誰にもある夏の夜の不思議な思い出でしょうか。霊とかそういう神秘主義的なものを信じない私であっても出会ってしまった不思議な体験です。その日は梅雨が明け夏越し祭りの夜市が始まる日でした。子供たちは家に帰ると浴衣に着替えて商店街に飛び出しました。たこ焼きやリンゴ飴などの食べ物屋や金魚すくい、くじ引き、射的などの屋台が並びにぎわいます。私は家が遠いので帰ると直ぐに着替えて自転車に飛び乗って商店街を目指しました。家から商店街までは2キロほどの下りです。ライトをつけて懸命にこいでいると前に水色の浴衣の女の子が歩いていました。髪が長く後ろで束ねていていかにもか細いという風で赤いサンダルを履いていました。誰だろうと思ってすれ違いざまに振り返りました、しかしぼやけた顔はいかにも白く細く更に暗くてよくわかりませんでした。まあだれでもいいか、そう思いながら友達との待ち合わせ場所に行き、皆と商店街をそぞろ歩き遊びました。さて帰る段になってそういえばさっき追い越した少女は誰だったのだろう、夜市ではすれ違わなかったが。皆と別れて帰りの坂道を懸命に漕いで上がっていると前の方にあの水色の浴衣が見えました。僕は誰だろうな、見たことないなと想いながら隣りをすり抜けようとしました。すると何かが触れたような気がして振り向きました。すると女の子の姿はなく道端の薄が風に揺れていました。ただ、これだけのことです、これ以上は何も起こらなかったのです。身の毛のもよだつような後日談も涙なしでは語れないエピソードもありません。ただ、この夜市で水色の浴衣を着た人に会った友人はいませんでした。何かが私の前に現れそして消えたそれだけのことです。

鉱物か [ものかたり]

ガラクタの中にポツンといるとじぶんと同化してしまうらしい。昔、鉱物採集に憧れて近所の山や少し離れた鉱山跡にバイクで行っていた。貝や木の葉の化石を採ったり鉱物をあさったりした。だが残念だがもう、それらの石は実家にもほとんどないようです。錫石と蛍石、方鉛鉱はありました、それ以外はどこかに消えていました、日本式双晶や煙水晶、方解石、モナズ石、赤鉄鉱、などあったと思うのですが。今、家にあるのはヒスイとヒスイモドキ(ロデイン岩)、碧玉とネフライト、玉髄、メノウ、亜炭、石炭などです。どれも価値は低いですけど、砂金もごく微量ありますがゴミにか見えません。時間があればまた行こうかな。

御先祖様は [ものかたり]

私の両親は同じ名字だった。だが、微妙に字が違う。親父の苗字は草冠が十十の形になっている、お袋方はそれがなんだかもと妙な両端が跳ね上がっている。そして家紋がまた違う、親父方はただの下がり藤、お袋方は〇に登り藤、親父はよく下がり藤が本家の藤原の紋だから、こっちは偽物だと言っていた。親父方は旧家で室町後期まで墓などが遡れると威張っていた。一方お袋方も家には槍や刀などがありまた古い系図があって旧家ということになっていた。こっちはさかのぼれるのは江戸前期までで苗字帯刀を許された肝煎りだったらしい。両家とも古い蔵があっていろいろなものがあったのだが子供たちがみんな売ってしまって今は何もない。刀や槍は子供のころ遊んでよく叱られた、とても重かったのが記憶にある。とはいえ、九州のド田舎の事だから系図も本物ではないのは確かだろう、先祖の最初が藤原魚名になっているし、確かに古いが紙の字が読み取れるのだからせいぜい江戸時代につくられたのだろう。だからかどうか江戸期になると突然墓が藤原〇〇何兵衛になっている。ハクをつけたかったのだろうな、大友氏の下で地侍だったのが除封で新しく来た中川氏に士官出来なかったのだろう。

帰化人たち [ものかたり]

埼玉県日高市に高麗と言う場所があります、朝鮮半島にあった高句麗の遺民が日本に来て土地を与えられた場所と言われています。高麗神社があって将軍碑が立っています。また、秦の遺民が秦氏で秦野などにその名前を残しています。任那や百済の遺民も近畿圏を中心に広がっており西文氏や東漢氏などの渡来人系がたくさん登場します。特に陶器の世界では土師器から須恵器の登場に大陸の技術が取り入れられたと考えられます。既に古代の部民に土師部以外に須惠造部などが登場しています。時代は新しくなりますが有田焼や薩摩焼の担い手は朝鮮出兵時に連行された人々でした。そして日本初の磁器や赤絵などが花開くのです。
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