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新燃岳からの連想 [ものかたり]

新燃岳が噴火したりしているので久しぶりに火山の話をします。今回の噴火は白根山や御嶽山の噴火とは決定的に違うことがああります。それはマグマが直接噴出している事。水蒸気爆発ではなくマグマ噴火だから溶岩が火口内を埋めて外に流れ出したことです。そして噴き上げるのは通常の噴石と言うよりスコリアと言う溶岩の切れ端が多いこと。そして霧島の火山はおおよそ安山岩質マグマなので玄武岩よりやや流動性が乏しく、それでも雲仙普賢岳よりは粘り気が少ないので溶岩ドームを形成していないことです。大量のマグマが粘り気が多くてかつ火山ガスを大量に含んでいると大火砕流を起こすような噴火になる可能性があります。一方でこの新燃岳噴火が比較的安全かと言われればそうでもありません。ポンペイを滅ぼしたベスビオの噴火は決して巨大噴火あるいは破局的噴火と呼べるものではありませんでした。これは大型の爆発でスコリアを大量に巻き上げ噴煙柱(」大量のスコリアと火山ガスの塊)を形成しそれが自分の重みで崩壊して山肌を駆け下ります。これに巻き込まれれば高温と有毒ガスで助かりません。カリブ海でサンピエールの街を壊滅させたプレー火山の熱雲と昔呼ばれていたものも同様なものと考えられます。更に噴出物が100㎦を越えるものが破局噴火(死都日本参照)であり大きなカルデラが残る場合が多く九州や東北、北海道に見られます。実はアメリカのイエローストーンや朝鮮半島の白頭山が巨大噴火の準備段階と言われておりそう遠くない未来に大噴火を起こすと考えられています。これらの大噴火では火砕流や有毒ガスだけでなく火山の冬とそれによる飢饉により現代人が経験したことのない災難になると考えられています。地震や台風とは桁違いの被害をもたらす火山どうやったら被害を減らすことができるのでしょうか。

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別れから始まり [ものかたり]

3月8日のこのブログで伊勢物語の2つの歌、挽歌と言うか哀傷というか、を書きましたが、3月10日に亡くなられた方の通夜に行ったとき、改めてその重さを感じました。故人は数年前に伴侶を亡くされそのあとの二人の子供の独り立ちを任として生きていたようです。そして最後の電話での話を思い出すに
ついにいく道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを
そして二人のお子様の想いも
世の中にさらぬ別れの無くもがな千代とも祈る人の子のため
まさにその通りです。また、お経に父母恩重経と言うのがあります(実は本来の仏教典ではないのですが)。長いのでここでは割愛いたしますが、例え儒教由来の偽経でも内容は身に心に響くものです。しかし、死した他人への追慕も含めて全ては生きる人のためにある、だから悲しみはどこかで振り切って進まねばならない。亡き人もきっとどこかで見ていると思って。
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年越しの風物詩も [ものかたり]

師走の風物詩と言えばなんだろうか、最近はライトアップやイルミネーションやクリスマス商戦を思いつくが昔からと言えば年末行事だろう。大掃除、餅つき、門松、年越しそば、除夜の鐘、田舎にいる時はこのフルセットをやっていたが今は大掃除と年越しそばくらいになった。大掃除も田舎ではすす払い、拭き掃除をしてそれぞれに竈の神様、水神様を祭りお供え餅に橙を乗せて供えた。すす払いはテレビで東大寺の大仏が良く中継される。我が家にはケルヒャーを買ったので早速使用した、確かに便利だがちょっと使いにくい部分がある。ただ、例年より早く終わったことは間違いない。準備ができたらやっと正月の買い出しに行く、アメ横混んでいるだろうな。最近はイオンとかで済ましちゃう、野菜だけは直売所で買うことも多いんだけど、雑煮の材料も夫婦でまったく違う。妻方は焼いた角餅、エビ、鶏肉、人参、エノキタケ、(小松菜が入ることも)昆布とかつおだしで醤油、砂糖、みりん、私の方は丸餅(焼かない)、人参(金時)、大根(聖護院)、里芋、牛蒡、干しシイタケ、白菜、干しシイタケと炒り子出汁で麦みそ仕立て、結婚してから私の方の雑煮は1回作ったかな、あとの20数回は妻方の雑煮です。そう言えば、年越しそばは妻方はもり蕎麦、私の方はかけ蕎麦です、こちらは私が作るのでかけ蕎麦(けんちん蕎麦に妻の希望でエビ天を乗せます)です。こうやって見てみると妻方の方がどちらも具材が豪華です、私の方は炒り子以外動物質がありません。貧乏だったのがバレテしまいまましたか。
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おいおいもう12月も半分だぜ [ものかたり]

どうしたらいいんだろう、時間はこんなに早いのか。いろんなことを置き去りに12月も半分。子供の頃はもういくつ寝るとお紹月ではないがなかなか来ない正月だったのに今ではこのあいだ正月だったじゃないかと思う。お年玉やテレビの特番やスポーツ中継を楽しみにしていた。煙突掃除の為に竹を切ってきて真っ黒になりながら掃除して、山に行って松竹梅を切って正月飾りを作る。先祖の墓には榊を取ってきて供える。皆で外の釜でもち米を蒸して石の臼でえいやっと餅つきをして手際よく餡餅と鏡餅を作ってゆく。台所ではでかい鍋で煮しめを焚いている。裏白を取ってきて橙と鏡餅に載せやっと年が暮れて行く。あの頃のほぅが正月らしかったな。
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ヒスイ拾いの成果は [ものかたり]

何度もヒスイ拾いに行っているのに、先日はまたネフライトの色の薄い奴をヒスイと間違えた、透過性はあるし色は黄緑だしだけど表面がちょっとざらついて結晶も大きい。鑑定をしてもらったわけじゃないので同じヒスイハンターの人にわざと見せたらその人は何も言わずに笑っていた。やっぱりネフライトだったんだなと思った。11月の戦績はヒスイが2個(品質が悪い)、ネフライトが6個だった。ネフライトや玉髄はなるべく持ち帰らないようにしているが捨てがたいものもあってついつい増えてしまう。特に玉髄の中の青と緑が入ったものは美しい。年内は終了で来年の3月まで自粛します、今回も波凄かったし。
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彼岸過ぎまで [ものかたり]

秋のお彼岸に墓掃除に行く。その道すがら真っ赤に咲き誇る彼岸花の群落があった。たくさんの赤い、いやもうそれは血の色より濃く恐ろしげな風車が足元から突き上げるような恐ろしい場所。今でこそ巾着田のように観光で見に行くこともあるが、昔は本当に彼岸に咲く幽霊化、または曼珠沙華の名の通り、悪行を払う天の花、この場合は白色花で実際に私の田舎には白色の彼岸花が時々あった。イヌサフランのピンク色と間違える人がいるらしい、どちらも花が咲くときには葉っぱがないからなのか?彼岸花には毒があるのは有名だが、あの根茎には澱粉が含まれていて昔は水にさらして澱粉をとって食料にしていたらしい。たくましいなとおもう、健康毒抜きして澱粉をとると言うのは日本やアジアのお家芸で栃の実やドングリ、ソテツ、更にはシアン化合物が含まれるキャッサバなど非常に多い。話はまた彼岸花に戻るが、此の花は繁殖力旺盛ですぐに繁殖地を広げて行き、庭の中に侵入してくる。縁起が悪いと親父などは目の敵にして除草していた。民間信仰でこれをすりおろして癌に効くと言われていたこともあった。また、今年も野道や田の畔に燃えるように咲き誇っているのだろう。
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ホテルで出会ったもの [ものかたり]

私が地方都市の駅近の安ビジネスホテルに泊まった時のこと。夜11時ごろにドアをノックする女性の声がする。開けてみるとみると若い女性が立っていた。「何ですか」と聞くと「水漏れしていませんか?」と言う、「いや」と言いながら天井を見ると確かに水がしみだしている。「あ、漏れていますね」「やっぱりそうですか、フロントに掛け合ってもらえますか?」「はい」「ではすいません」、女一人では言いにくいのだろう、仕方ないか。そう思い、フロントに行き、係の人に見てもらった。ホテルの支配人らしき人が来て「申し訳ございません、部屋をお取替えいたします、ただ当ホテルは本日水漏れした一階以外満室でございまして、近隣のホテルを用意いたします。申し訳ございません。」私以外の数人も他のホテルに移る様だった。しかし、その中にあの女性はいなかった。そして別のホテルへ移動したのは1階部分の10室10名の男性だった。それ以上は調べようとはしなかった、どうでもよいことだと思った。これだけの話である。
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敬老 [ものかたり]

敬老の日が来るが本当に老人を敬う人など何人いるだろう。それに最近は70歳位では腰も曲がっていない。昔は60歳と言えば年寄りの中に入っていた、還暦は長寿の祝いの一種だった。船頭さんという童謡を知っているだろうか、そこに“村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん”と言う歌詞が出て来る。戦前に作られたものだが当時は60歳でお爺さんだったのだ。戦後だって長い間定年は55歳だった、それが60歳になり65歳になり70歳にしようとしている。私たちはいったいいつまで働かなきゃいかんのだろう?
私にはもう祖父母はいない、自分の両親妻の両親ともに他界している。特に私の祖父母は生きていれば120歳を超えるほど昔に無くなった。祖父は明治の人だったので温和だったがどこかに威厳があった。養子であったので相当苦労したらしいがその話はあまり聞かなかった。ハゲ頭に手ぬぐいを巻き、手足で機用に縄や筵を編む姿が印象的だった。時々シベリア出兵でチタまで行った話や満州の話をしてくれた。祖母とは茶の摘み取りと焙煎、小豆の虫拾い、山菜を大釜で茹で筵の上に広げて干すとか農作業の手伝いをさせられた。子供の頃の体験は今に生きてはいないけどいつかまたそんな時代が来るかもしれない。

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事故とリハビリ [ものかたり]

 事故から3か月が経ちリハビリが始まった。切断は免れたものの久しぶりに見る私の右足はどす黒く金属プレートを入れた縫い目だけが白く浮き上がっていた勿論膝下は感覚がない。脹脛は壊死したためにそぎ落とされ皮膚と血管を移植した部分はメッシュの後がくっきり残っていた。半月板を取った膝はほとんど曲がらなかったし足首に至っては真っ直ぐのまま固まり指はハンマー状に縮んでいた。それから毎日リハビリで、これが泣くほどに痛い。その前にまずは久々の入浴です。自力で立てないほど筋肉が落ちていたためかごに入れられリフトで浴槽に投入された。そして看護学生が数人で全身をこすり洗い、まるで根菜の様だった。その汚れたるや酷いものであった。その後浴槽で歩行練習して体を慣らしなが筋肉を増やしてゆく。そして松葉づえをつけるようになったら膝を曲げる訓練、これは理学療法士のある程度力技。足首を曲がるようにするために壁に自分を縛って立つ。 そして感覚を戻すためのマッサージといえば聞こえがいいが、理学療法士が揉む、叩く、これが最初は何ともないが神経が戻り始めると激痛である。毎日リハビリの日が続く、いつか自分で歩けるようになるんだと思えば頑張れる、でも痛い。そして、これから3か月間でこの病院からの脱出に成功する。
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魂は鋭敏かな [ものかたり]

別に霊感などないが時々首筋からものすごい何かを感じて全身が凍りつような感覚になるときがある。これが2通りあって一つは本当に怖い目に合ったり怖いことを想像したときになる。もう一つは全然何もないのに何も考えていないのにあの感覚が起こる。そういうう時はしばしばよくないことが起きる。海に行ってその感覚に襲われてさっさと帰ろうとしていたら救急車が来て騒いでいる。どうも水難者が出たらしい、どうも助からなかったようだ。野辺のお地蔵様なんて田舎道には昔は沢山あって、昔の飢饉や戦なんかで亡くなった人の冥福を祈って建てられたものが多い。そんなところを通るときはだいたい手を合わせるが、見落としていたところで恐ろしい感覚に襲われてしまったことがある。由緒までは聞かなかったが、何かしらあるのかもしれない。時々虫の知らせと俗に言われるものはあるような気がする。両親の時もなんとなく分かったし。本当はただの精神疾患なのかもしれないけれど。
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