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こんぺいとう [懐かしい]

最近金平糖や有平糖を見ないな。どちらも南蛮菓子でポルトガル語が語源だ、織田信長はフラスコ入り金平糖を好んだらしい。砂糖が貴重だった時代だからなんとなくわかる。うちの亡くなった母が有平糖が好きで良く茶の間にあった。今でも金平糖を昔ながらの大釜で砂糖水をかけながら転がして作ってるところがあるらしい。今じゃ需要が少ないから、皇室のお下げくらいかな。
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数え歌 [懐かしい]

数え歌と言うのがあって地方地方で中身が違う。メロデイーは同じなのに多様な歌詞があったりする。Eテレの日本語であそぼに出てくる「一番初めは一の宮・・・」は「一かけ二かけ三かけて・・・」とメロデイーは同じ。九州では後者の方が多いはず。細部まで覚えていないが
一かけ二かけ三かけて四かけて五かけて橋を架け
橋の欄干手を腰にはるか向こうを眺めれば
十六、七の姉さんが片手に花持ち線香持ち
そこ行く姉さんどこ行くの
私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です
明治十年城山で・・・
こんな感じだったと思いますが後忘れました。
こんな数え歌は当然西南の役以降に造られたのでしょうが、それが広がって今もあると言うのは西郷隆盛が人に行かに好かれていたかでしょう。今でいう戦争犯罪人でありながら早くに名誉回復されていますし。大河ドラマは脚色もありましたが竜馬の「小さく叩けば小さく響く大きく叩けば大きく響く」の評どおりでしょうか。
ちなみに、最初の方の「一番初めは一の宮・・・」は
一番初めは一の宮
二また日光中禅寺
三また佐倉の惣五郎
四また信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様
八つ大和の法隆寺
九つ高野の弘法様
十は東京心願寺
もちろんこれも多種多様なバージョンがあり、ネットでも見ることができます。でもできるなら八は大和ではなく八幡様の宇佐神宮にしたかった。字数が合わないので歌えないけど。
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冬のご褒美かな(漬物は) [懐かしい]

天気予報が雪だるまを増殖させている。どこも冬本番だが南関東は青空すっきり風さえなけりゃ暖かい。田舎では切干大根を干したり白菜の漬物を点けたりしていたな、漬物を漬けるのは母と一緒に倉庫の中で大きなプラスチックの桶に2日ほど干した大根を敷き詰めてそこに塩と米ぬかとザラメを混ぜたものをふってまたその上に大根を敷くこれを繰り返してふたをして石を置く。これで1月もすればいいたくあんに仕上がる。一方で白菜は半分に切って1日ほど干す、そしてやはり桶に漬け込むがこちらは下の段はまず塩だけ、そして次の段には塩と昆布と唐辛子をしいてその上にまた白菜を置いて塩、昆布、唐辛子をしてこれを三段重ね、一番上には塩と昆布と唐辛子に干し柿を作った時の皮をのせて重石を置く。こちらは3週間ほどでいいぐあいになる。
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選挙が来たね [懐かしい]

大学生の頃代議士の下でアルバイトをした、末端の秘書の下で地下文書の配布などをした。代議士とは本当にお金がかかるもんだなと思った。しかも当選すればいいという野党系と比べ当時は中選挙区だったから与党の議員が2人以上同じ選挙区に出る。すると大臣になるためには当選回数と共にライバルより上位で当選しなければならない。だからなんと同じ与党の議員の中傷ビラを地下で作って配っていた。遠い過去の話だ、だが当時の中選挙区制と言うのは死に票が少なく私は悪くないと思っている。それに今ほど区割りを頻繁に替えなくていい。そろそろ小選挙区も飽きたな、でも選挙だけは行っている、今まで国政選挙の棄権はない。
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秋の夜長に歌うは童謡 [懐かしい]

小さいころの話だからもう半世紀近く前の話。小学校に上がる前の私はいつも母と家にいた。母は近所の農家の手伝いで家計を助けていた。秋から冬にかけての農閑期は家にいたからよく童謡を歌ってくれた。小さな寒い家の囲炉裏の横に座って聞いた歌は今から見ればどこの国の話だと思うかも知れないほど古いが当時はそれが生活の中にあるものだった。ずいぶん前にも「里の秋」のことを書いた。お父さんは何処にいるのだろうと思っていたが戦地へ行っていたと後でわかった。それ以外にも「旅愁」「あかとんぼ」「ちいさい秋見つけた」など、母の節回しで母の声で聴いた。母が亡くなってもう20が経つ、子はいつまでも子だと思う。
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鉄オタですって? [懐かしい]

民進党党首選の前原候補は鉄オタだそうだ、取材の記者にC57がとか言ったそうだ。別に前は候補の話をするつもりはなく、記者さんには鉄オタでなくてもC57だけでSLとわかって欲しいものだなと思った次第。私もSL好きだが実際に普段乗っていた最後の世代だからこその愛着がある。煙の匂い、遠くから聞こえる汽笛の音、激しい息遣い、停車するときのスチームを吹き出す音と軋む音、真鍮ドアの木の客車、送辞のワックスの匂いどれをとっても懐かしい。子供の頃の身近なSLはC58と86が客車で貨物が96だった、C58は新しく洗練されたフォルムだが86と96は大正時代の無骨な車両だった。支線にはC12が配属されていて往復運転の帰りはバックで使用されていた。また、96の重連でスイッチバックを登るのも力強かった。これだけで住んでいたところの線区がわかってしまう人もいるだろうな。SLは石炭と水を積み込むため駅にいた、日がら眺めているのが楽しみだった。
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8月15日 [懐かしい]

今日は終戦記念日、あれだけ多くの人が死んだ戦争ももうずっと向こうに行ってしまった。多くのものをわがものとせんがための戦いは結局何も得ることのないまま消えてしまった。終戦記念日ではなく敗戦記念日だろう、本当はそうだろう?だが、あの戦いで明治から続いたくだらない帝国が終わり、いまの民主日本がある。懐古趣味で戦前への憧憬はその実も知らないまま胎動を始めている。戦争前の日本はただの悪夢でいまのこの国こそが現実なんだ。時に人は自分こそが正しいと思い自分の国こそが一番であると思いたがる。何処が一番だとかどこが正しいだとかどうでもいいことだ。自分の都合だけで世界を判断してもそれは井の中の蛙。昨年親父が死んで身の回りに本当の戦争体験者が居なくなった、親父は大正の生まれで公務員だった台湾で応召、それから4年間ほど陸軍砲兵隊にいた。機銃掃射されたり田んぼで爆撃機の爆弾を落とされたが泥田で不発弾だった話などしていたが台湾は比較的戦闘が少なかったため、生きて帰ることができた。しかし、本土に引き上げてからの方が大変だったとよく言っていた。あれから70年以上生きていたのだ、もっといろいろな話を聞いておけばよかった。

夏飲料 [懐かしい]

先日、通販でカボスドリンクを48本買った。大分にいるときにはよく飲んでいたがさすがにこちらではなかった。いまのははちみつ入りや粒入りのものなどある。昔より味はマイルドにそれでいて香りと後味はカボスそのものに仕上がっている。1日2本ペースで飲んでいたらあっという間になくなった。子供のころは果実そのものを絞って氷と砂糖でカボスジュースを作っていたが、あまりの酸っぱさに砂糖を足していた。そんな懐かしもあり、あっという間に無くなったので粒入りを注文してしまった。まんまとはまってイル気がする。




夏のいろ [懐かしい]

ヒマワリはまだ小さくて風にゆらゆら揺れている
朝顔は日の高く昇る前に静かに咲いている
路地裏の猫は道這い蹲り大きく息を継いでいる
子供たちの自転車が駆け抜ける
ベルの音も軽やかに
私は日陰のベンチに座りラムネを飲んでいる
こんな夏だったよね
そういう時間だったね
昭和40年代はそうだったよね
まるで絵で描いたようなセピア色の夏

田植えのころ [懐かしい]

昔九州にいたころ田植えの季節がちょうど6月の頭だった。たぶん晩稲を栽培していたのだろう。田んぼに水がてぷてぷと張られ稲がさやさやと風にそよいでいた。丘の上から見るとまるで鏡のようできらきら光っていた。そしてパやパやとした早苗が風になびいては戻るとき鏡は銀と黒のコントラストを作った。そんな道をバイクで走るのはとても楽しくてヘルメットを放り投げたくなった。
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