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陽炎、蜻蛉 [昔語り]

夏の恋は陽炎かはたまた蜻蛉か、熱き地面から立ち昇る揺らめきの中の景色かこの世に本体を置きながら異界の世界への入り口を飛び回る、あの儚き虫のようなものか。それほど身を焼き尽くすほどの恋の経験はないかもしれぬ、しかし胸をこがすような想いは何度もある。不思議なものだが何時も何気なく傍にいる人が夏休みなどで長く会えなくなるとそれは寂しい、そしてその寂しさを恋と実感する、もしかしたらそれは恋ではない場合もあるのだがその時はその勘違いすら気が付かないほど恋に恋い焦がれる。私はこのタイプではない、どちらかと言うと休みの間に知り合った人のイメージを膨らませて勝手に恋い焦がれるタイプだろう。しかも、追いかけるタイプでもないから優柔不断な自分を責めながら振り向いてもくれぬ人に想いを寄せる。ところが、時々何を思ったか行動に出てしまうことがある。止めとけばいいものをと自分ではわかっているのだが止まらない。そんなことが3度ほどあった、ところがそんな時、神の悪戯か想いが通じてしまう事があった。自分ではうまくいかないからこそが夏の恋で、勝手に書いたシナリオが崩壊する。あわてて、ハッピーエンドに書き換えようとするのだが、もとよりそんなものが書けるはずがない。なんだかギクシャクしながら秋冬を迎える、そんなことを何度か繰り返して大人になって行った。
出会いはどこにだってあるけれどやっぱり何か自分から動かないと何も起きない。たとえ一人旅だって別に出会いなんて望んでいなくたって、ふっと自分に風が吹いたら一歩を踏み出せばいい、それだけのこと。陽炎を見つけるのも蜻蛉を捕まえるのも、夏にやってみればいい、ここしかない時間だから。

あきらめないよ [昔語り]

二人だけで秘密の谷川で遊ぶ
銀色の君の手が水面をくぐるとき金色に輝く
僕に向かって冷たい光の玉が放たれる
僕は裸足で逃げ惑う
君の笑顔とお日様が重なって眩しくてしかたがない
腕をとって抱きしめる
蜩の声だけが聞こえる
夏はこの腕の中にある

夏の日暮れ時 [昔語り]

夏の夕暮れ時に咲くカラスウリの白い花を知っているだろうか?実の方は赤く熟れて生け花に使ったりするから知っているふともいるだろうか。カラスウリの花はとても良い香りがする、そして白い花はレースを纏った貴婦人おようだ。夜に咲くのは蛾の一種に受粉を託しているかららしい。キカラスウリの根は澱粉に冨みそこからとった粉を天花粉という、昔のベビーパウダーだ。また、実も若いうちは食べられるらしい、漬物などにするそうだがまだ食べたことはない、苦そうだ。熟れた実には妙な甘みがあって気持ち悪い(試してみたのだが)キカラスウリのほうはちゃん食べられるらしい。カラスウリとキカラスウリの見分け方は葉っぱ、大きめでブドウような感じがカラスウリ、ちょっと光沢があって胡瓜のような葉っぱがキカラスウリ。どちらにせよ夏の世に咲く花にはもったいない。

君のため [昔語り]

埴輪のような目がこちらを見ている
そう思ったら君だった
だって白目のところが蒼くて赤ちゃんみたいだし
がっちりとした腕と足は土偶のようだし
マッシュルームのような髪は真っ黒だ
でもどうしてかわからないけど惹かれてしまった
全てを忘れて君のために生きて行こうと思った
そうしてやっと愛を語れるまでになったのに
君はするりと僕の手を抜けていった
知らない遠くの世界に飛んでった
二人は七夕祭りのお星さまのように
永遠に離れてしまった

誠実に謙虚に [昔語り]

なるべく暗くなるようなことは書かないでおこうと思うけれど、生きて行くうえで辛いことがないわけはない。それでも投げ出したりせずに、人のせいにしたりせずに、生きて行くんだ。やれることをしないのは恥ずかしいこと、他人のせいにするのはもっとも心が痛むこと。人の悪口は決して言わない、謙虚さと慈愛をもって歩いてゆけ、神のようになれ。難しいかい?くだらないものをみんな捨てちまえばできるさ。荷物は全部ぶちまけよう。

喧嘩はコミニケーションツールだった [昔語り]

喧嘩は嫌いだけれど子供のころはよくやった。決して強くはない、いや弱い方だろう。それでも、今のように凶器や飛び道具が出てこなかったのでせいぜい怪我で済むからいじめっ子相手の玉砕攻撃は本当によくやった。喧嘩を終えた後は意外と尾を引かない、逆に仲が良くなったりする。弱い物をいじめることが一番いやしいことで誰もそれで憂さを晴らしたりしなかった、そういう共通の認識があった。弱い物に勝っても何の意味もない、人の尻馬に乗ってばかりいる奴は逆に制裁の対象だった。それでもできるならやりたくない、鼻血やあざ、歯がぐらぐら、口の中は血だらけ、脱臼や骨折も。自分はパンチやキックが弱いから頭突きか脇固めしかない、接近戦じゃないと勝ち目がない。しかし飛び込むまでに数発食ってしまうことがおおかった。今はできません図体はデカいがぼろぼろですから。

子供の日と言えば [昔語り]

鯉のぼりが泳いでいる、最近川原などでたくさんの鯉のぼりを泳がせる場所が多い。一つの風物詩になっているのだろう、だがお雛様をたくさん並べるのと同じでちょっと凄まじさを感じることがある。観光客が呼べるからなのかもしれないが、それにしてもあんまり好きではない。一方で柏餅や粽には思いいれがある、実家の方には柏(あの毛深い方の)の木がない、だからナラガシワ又はサルトリイバラの葉を使うナラガシワの葉は餅にくっついてしまう上に乾燥が早いのでサルトリイバラの方が多い。粉も上新粉ではなく米粉が使われることもある。餡は粒餡であったが近所では漉し餡の家もあった。粽は塩味で笹にくるんでいた、一部にはススキを使う家もあったように思う。柏餅は子供たちの楽しみでもあったから、遊んでいると近所のおばちゃんから貰うのが常だった、やっぱり食べ物が主役だったか。

海へ [昔語り]

爽やかに流れる風キラキラ光る海
あの青空と水平線が融け合う所へ走り出した
まだ幼かった僕たちは息を切らして遠くへ遠くへと
切ない想い今日は伝えたい
握った手が汗ばんでそれでもその手を強く握った
帰れないあの日のあの場所へ
海辺に立たずむ二つのシルエット
時間はどこかで止まったまま

分かれ道はわからない [昔語り]

誰が自分の生き方をきめるのか、そのポイントになることやなる人は意外と身近な人でなかったりする。しかもたわいもない一言やあるいはほんのすれ違い程度の出会いだったりする。けれどそれを単なる偶然と呼ぶなかれ、運命なのだから。ただこれが誰にもわからない。でも、背中を押したり踏みとどまらせたり結構あるだろう。人生は余程ガチガチに決めていなければ少しくらいの脇道や集会遅れもいいんじゃない。何でも自分で決めて自分を追い込むのもカッコいいけれど、目立たぬようにひっそり生きても、目立っても同じで、それじゃあ自分勝手に生きればいいわけもない。自分以外の物の悲しみの材料にさえならなければいい、、難しいよ自分で決めたとしても。

春夢譚 [昔語り]

田舎の小さな駅はふるい駅舎と桜の古木が2本
暖かな日差し溢れる朝に
都会へ向かう少年が独り木の下で花びらを浴びている
少し悲しそうな寂しそうな目をした少年
大きなカバンを抱えてとたった2両の列車に乗り込む
その時どこからか息を切らして白い少女が列車に飛び乗った
二人は何か語りあい窓の外が見える席に座った
遠い世界の出来事のように感じて私は目が覚めた
二度と来るはずのない列車いるはずのない二人
春はあの時と同じ桜を浴びながら
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