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誰か詩ってよ [昔語り]

誰かカバーをしてくれないかな、「シングルガール」と「アゲイン」というあんべ光俊の曲です。今なら女性アーチストに歌ってもらえばきっと売れると思うかな。でも、今の世の中にあっていると思うのだけど。~シングルガール誰もが孤独さ時にはXXX児のように、シングルガール愛さえ信じられなくて枕を濡らす夜がある~
~愛していると言ったなら怒るかい愛しているとあの時も言ったけど、二人が喧嘩別れしたこと若さのせいにしたくない自由でいたいけど独り占めしていたい~
きっとどこかで出会った人との思い出が詰まった曲です、そのワンシーンごとにそれぞれの曲があってどこか心の奥の方で渦を巻いています
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或る人の詩 [昔語り]

多くの人の涙と血が流された
声にならない恨みの塊が
この空を包んだ
命の軽さに憤ることも無く
当たり前だと声を押しつぶす
戦とはそんなものだ
それでは何も変わらない
俺は戦いは嫌だ
誰だって嫌だ
だから声を出せ
領土なんて宗教なんて国家の威信なんて
あまりにもくだらない
愛する者を守るために?
たぶん相手も同じ理屈のぶつかり合い
それはいったい何故なんだ
どこかに嘘がないだろうか
嘘を見破ったら命がないか
ああ馬鹿げている馬鹿げている


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忙しかった頃 [昔語り]

急にこんな時期になって忙しくなるのは困ったもんだが、昔、経営企画の仕事をしていたとき5月の連休中に1泊2日の経営合宿会議を社長が開催するのでその資料と準備で4月はほとんど残業と休出の嵐だった、それに当然合宿当日も行かなくてはなりませんでした。管理職なので当時は出退勤を付けていなかったので良くわからなかったが早出2時間、残業5時間の20日と休日出勤(所定で)が10日だったから(つまり4月は全部出勤)まあ200時間は越えていたな、深夜業や法定休日の出勤を申告していなかったから数十万円にはなったかな、とそんなせこいことはもうどうでもよくって、そんなことを毎年やっていたらちょっと疲労してしまった。とにかくまじめで厳格で手を抜けない社長さんでしたがいろんなことを共にしたいい人です。今でも時々会うと笑って握手します。GW前にばたばたするとあの頃を思い出します。
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鯉のぼり [昔語り]

昔、私の家は貧しくて鯉のぼりが買えなかった。当然武者人形や甲などもありませんでした。そう言えばお雛様もありませんでした。兄弟5人で男女女男男の末っ子が私でした。どんなに貧乏でも学校だけは行かせていました。父が農業高校、母は尋常小学校しか出ていませんでしたのでせめて大学に行かせるために借金をしてまで教育に熱心でした。兄二人は東京の私立大学に通いました、上の姉は高校卒業後看護学校に行き、次姉は京都の私立の女子大に行きました。だから、お金が足りません、母親も農家の手伝いに行き私もの謳歌の手伝い行きその金を家計に入れていました。そんなこんなで両親はお前くらい”国立に行ってくれんか”と言うのが口癖でした。私は親不孝者で現役で合格した国立に行かず、関西の私立にも行かず、さらに浪人までして東京の国立に不合格で私立大学に行ってしまいました。鯉のぼり立てていたらよかったかな。
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清川村人だった [昔語り]

高校まで居たのは清川村という小さな村だった。今はもう町村合併で無くなってしまった。それほど山の中というほどの村ではなくいわゆる中山間地域に該当している。過疎の進行で人口は減少して限界集落が多くなっている。実家もそのような地域にあって周りは耕作放棄地だらけで老人ばかりの世帯が多い。私も両親が亡くなって足が遠のいている。それでも里山の景色や匂い、移ろいゆく雲の影と陽の光しっかりと覚えている。小さな列車に揺られ無人駅を降りて桃の花咲く道を行けば我が家が見える。同級生にも長い間会っていない、多分今の私に会っても誰もわからないだろうが。それにしても東京は故郷になれない場所だと思う、これまでもこれからも。
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思わせぶりに [昔語り]

高校生の頃仲の良い女の子がいた。ルックスもスタイルも決して万人向けとは言い難い娘だったけどなんとなく思わせぶりにな態度としぐさの可愛さで次々に同級生を振り向かせていた。私はと言えば仲がいい、けれども好き嫌いの関係にはなりそうもないと思っていた。ところがある寒い日の駅への帰り道二人並んで歩いていたらいきなり私の腕に手を絡めて、そのまま私のポケットに手を入れてきた。私は少しドキッとしたけれどそのまま駅まで歩いていった。同級生たちは私たちを見ながら驚いたようだった。彼女はにこにこほほえみを浮かべて私にこう言った。「ほら、みんな見てる、私達恋人同士に見えるかな」私は「たぶん」と答えた。でもこの娘はいつもこうだからなあ、ころっと騙されると言うか勘違いするのも無理ないな、そう思った。駅へ着いて別れ際に彼女が言った「これからもずっと、本気だからね」、私は改札を抜けて列車に乗ってからもドキドキしていた。そんなことありました。
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風邪対応 [昔語り]

風邪を引いたのか鼻がむずむずする、それに体が熱い特に顔が熱い。喉は今のところ大丈夫だが目がしょぼしょぼしつつある。これはまずいなインフルエンザではなさそうだが、いや最近は高熱などの特徴的な症状がが出ないインフルエンザもあるそうだ。予防接種もしたしイナビルなどの薬もあるし別にインフルエンザぐらいは怖れることはない。子供の頃はよく学級閉鎖になった、それ以外にも風疹やおたふくかぜ、はしかなどでも学級閉鎖になった。記憶があるのははしかとおたふく風邪にかかったことで風疹は記憶にない。だが、帯状疱疹が出たりするので確実に感染したのだろう。しかし、子供は意外と強いもんで40度の熱があっても平気で遊んでいた、更には冬の川にざぶざぶ浸かって水遊びをしていた。ただ、高熱で泡吹いて倒れたこともあった、全くバカだねえ。インフルエンザは人にうつしちゃいけないと家で寝込まされた、布団を何段も重ねられ汗だくになりながら。天井板の節を何かに見立てたり本を読んだりして過ごした。母が何故か風邪をひくとみかんの缶詰を買ってきた、タマゴ酒とのセットでインフルエンザ仕様の食事だった。扁桃腺が喉を塞ぐくらい腫れるのでこういううものしか食べられなかったせいもあるのだが。今日は会社から帰ったら久しぶりにインフルエンザ仕様食を食べて布団重ねて寝よう。
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散髪 [昔語り]

私は今でも理髪店に行く、1000円とか1500円とかではなく昔ながらの床屋の雰囲気のところ。美容院はどうも苦手だ、顔そりもないし。洒落本に浮世床と言うのがある、浮世風呂の続編にあたる。ようするに江戸時代の二大社交場が銭湯と髪結いだったということだ。それくらい噂話が集まる場所だった、今私が行く理髪店は10年以上住んでいた行徳に行っている。今は千葉ニューに住んでいるから路線も違うし結構距離もある。だけど、店の親父とくだらない話をしながら古き良き時代を懐かしむ。本当にそんな時間のために月1通う。美容院よりは安いがチェーン店よりは高い、それでも納得する価値がある。ご主人が倒れた時いつかはまた再開するのかなと思ってちょくちょく見てみた、地下鉄の窓からやっているかなと見たときにあの赤と青のサインが回っているのを見てすぐに行った。当時はその辺に住んでいたが5年前に引っ越した時も、そして今も。客は確実に減っているのはわかっている、私一人でどうしようもないが、それでも行きます。正月前だから一寸短くして来よう。
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子供たち [昔語り]

郊外のモールにはすでにクリスマスツリーが光っている。マンションのホールにももみの木が置かれ休日には子供たちが飾り付けをしている。なにかと寒々しいこの師走にちょっとした笑顔があふれる場所と時間があるのはいいい。特に子供たちがプレゼントに思いをはせて輝いているのは喜ばしい。私の頃は何ももらえなかったけれどそれでもよかった、ほかの人が何をもらったとか聞いても羨ましくはなかった。今でも中にはそんな子がいるのかもしれない。自分の話はどうでもいいが肩をすくめほろ酔いで歩いて帰る時、マンション前でガラス窓越しにツリーを見ている子供を見るとちょっと寂しくなる。でも、きっと彼にも彼のツリーが光っているのだと思う。
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小さい子のころ [昔語り]

小さい頃台風が来るといつも空を見上げた。空に台と言う字が書いてあるかと思っていたから。世界地図を見ていて川は海から山へ流れていて塩水が流れていると思ってた。狐と狸は本当に人を化かすと思っていた。そんな、5歳児だった私は最初の交通事故に遭った。道の向こうの姉のところへ走って行こうとして郵便局員の単車にはねられた。頭を数針縫っただけだったが、縫われながら「今度は単車に勝っちゃる」と言っていたらしい。また、小学校低学年の時に野球のキャッチャ―をしている時に想いきり頬と顎をバットでぶん殴られた。これもまたどんくさいと言うか、ファーストランナーが走ったので早くボールをとろうと前に踏み出したら左バッターのバットが右頬に命中。骨折こそしなかったが歯がぐらぐら口の中は血だらけ、最悪だった。まったく、あほでドジで手のかかる子だった。おねだりをしなかったのがせめてもの救いだったか。
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