So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
懐かしい ブログトップ
前の10件 | -

ほたるの頃 [懐かしい]

小さいころの蛍はヘイケボタルしかいなかった。7月~8月にけて弱い光でふうわりふうわりと飛んでいた。夜暑いので窓を開けていると家の中まで入ってくることがあった。友達の家に泊まった時に初めてゲンジボタルの乱舞を見た、1匹の明るさが違うしいっぺんにたくさん飛んで出てくるとろも違う。数と明るさに圧倒されてしまった、けれどもいまでもなんとなくあのヘイケボタルの儚げな風情が何とも言えず好きだ。いなかでもやがて農薬などで蛍がいなくなった時期があった、その後の努力でゲンジボタルは完全復活したらしい。ヘイケボタルについては噂を聞かない。どこかで揺れて飛んでいるだろうか。

nice!(0)  コメント(0) 

懐かしい歌を見つけたよ [懐かしい]

愛していると言ったなら怒るかい
愛しているとあの時も言ったけど
二人が喧嘩別れしたこと若さのせいにしたくない
自由でいたいけど独り占めしたい
泣かないで君を責めない
僕もまた君のこと誰かほかの人といつも比べていたよ

ほとんど知らないだろうな、だから敢えては言わない。この歌を聞くとずっともっとずっと昔の二人のことを思い出す。振ったのは君の方、でも悪かったのは僕の方、ちょっとした幸せが怖かった。だから自分で壊してみたかった。そんなこと、自分以外誰も覚えちゃいないけど、こんなことを思い出しながら空を見上げる大人なになった。

nice!(0)  コメント(0) 

桑の実 [懐かしい]


そう言えばこのあいだ歩いた道野辺に桑の木が結構あって桑の実がたくさんなっていた。今頃はちょうど紫色に熟して食べごろになっているのだろう。昔は赤とんぼの歌のように桑の実(桑いちごと読んでいた)を籠に積んで持って帰った、それを塩水につけて虫や蟻を選り分けて食べたりジャムにしたりした。甘みの強い甘酸っぱさが好きだった。今週末は天候が悪いらしい、まだあるだろうか。

nice!(0)  コメント(0) 

SUKIDAYO ARIGATOU [懐かしい]

卒業式の羽織はかま姿の女性を見ました。でもあの姿にはあまり思い出を感じない。やっぱり卒業式の思い出は中学校、高校でしょう。でも残念だったのは受験で高校の卒業式に出れなかった事。そのころはまだ付き合っていた人がいてセンチメンタルな気分を味わいたかったのに・・・。卒業式後も進路先の報告などで学校に行くことがありました、そんな日に今だから言えるけれど仲の良かった女の子に彼女がいるなんて知らなかったともう逢わないでほしいと言われたことがあった。別にそんなつもりはなかったのにと思ったけれど言われた通りにしました。今でもそうですが浮気できるほどモテるわけがありませんしその気もありません。でも中学校方が今でもよく覚えています。なんかこのMIWAの「君が笑えば」を聞くと思い出が蘇ります、馬鹿なオヤジです。

君が笑えばあたしも笑って二人手を繋いだね
いつか手と手が離れてしまうと知っていたら
あの時言えばよかった「ねえ好きだよありがとう」

なさそうで意外とある思い出ではないでしょうか。
nice!(0)  コメント(0) 

こんぺいとう [懐かしい]

最近金平糖や有平糖を見ないな。どちらも南蛮菓子でポルトガル語が語源だ、織田信長はフラスコ入り金平糖を好んだらしい。砂糖が貴重だった時代だからなんとなくわかる。うちの亡くなった母が有平糖が好きで良く茶の間にあった。今でも金平糖を昔ながらの大釜で砂糖水をかけながら転がして作ってるところがあるらしい。今じゃ需要が少ないから、皇室のお下げくらいかな。
nice!(1)  コメント(0) 

数え歌 [懐かしい]

数え歌と言うのがあって地方地方で中身が違う。メロデイーは同じなのに多様な歌詞があったりする。Eテレの日本語であそぼに出てくる「一番初めは一の宮・・・」は「一かけ二かけ三かけて・・・」とメロデイーは同じ。九州では後者の方が多いはず。細部まで覚えていないが
一かけ二かけ三かけて四かけて五かけて橋を架け
橋の欄干手を腰にはるか向こうを眺めれば
十六、七の姉さんが片手に花持ち線香持ち
そこ行く姉さんどこ行くの
私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です
明治十年城山で・・・
こんな感じだったと思いますが後忘れました。
こんな数え歌は当然西南の役以降に造られたのでしょうが、それが広がって今もあると言うのは西郷隆盛が人に行かに好かれていたかでしょう。今でいう戦争犯罪人でありながら早くに名誉回復されていますし。大河ドラマは脚色もありましたが竜馬の「小さく叩けば小さく響く大きく叩けば大きく響く」の評どおりでしょうか。
ちなみに、最初の方の「一番初めは一の宮・・・」は
一番初めは一の宮
二また日光中禅寺
三また佐倉の惣五郎
四また信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様
八つ大和の法隆寺
九つ高野の弘法様
十は東京心願寺
もちろんこれも多種多様なバージョンがあり、ネットでも見ることができます。でもできるなら八は大和ではなく八幡様の宇佐神宮にしたかった。字数が合わないので歌えないけど。
nice!(0)  コメント(0) 

冬のご褒美かな(漬物は) [懐かしい]

天気予報が雪だるまを増殖させている。どこも冬本番だが南関東は青空すっきり風さえなけりゃ暖かい。田舎では切干大根を干したり白菜の漬物を点けたりしていたな、漬物を漬けるのは母と一緒に倉庫の中で大きなプラスチックの桶に2日ほど干した大根を敷き詰めてそこに塩と米ぬかとザラメを混ぜたものをふってまたその上に大根を敷くこれを繰り返してふたをして石を置く。これで1月もすればいいたくあんに仕上がる。一方で白菜は半分に切って1日ほど干す、そしてやはり桶に漬け込むがこちらは下の段はまず塩だけ、そして次の段には塩と昆布と唐辛子をしいてその上にまた白菜を置いて塩、昆布、唐辛子をしてこれを三段重ね、一番上には塩と昆布と唐辛子に干し柿を作った時の皮をのせて重石を置く。こちらは3週間ほどでいいぐあいになる。
nice!(0)  コメント(0) 

選挙が来たね [懐かしい]

大学生の頃代議士の下でアルバイトをした、末端の秘書の下で地下文書の配布などをした。代議士とは本当にお金がかかるもんだなと思った。しかも当選すればいいという野党系と比べ当時は中選挙区だったから与党の議員が2人以上同じ選挙区に出る。すると大臣になるためには当選回数と共にライバルより上位で当選しなければならない。だからなんと同じ与党の議員の中傷ビラを地下で作って配っていた。遠い過去の話だ、だが当時の中選挙区制と言うのは死に票が少なく私は悪くないと思っている。それに今ほど区割りを頻繁に替えなくていい。そろそろ小選挙区も飽きたな、でも選挙だけは行っている、今まで国政選挙の棄権はない。
nice!(0)  コメント(0) 

秋の夜長に歌うは童謡 [懐かしい]

小さいころの話だからもう半世紀近く前の話。小学校に上がる前の私はいつも母と家にいた。母は近所の農家の手伝いで家計を助けていた。秋から冬にかけての農閑期は家にいたからよく童謡を歌ってくれた。小さな寒い家の囲炉裏の横に座って聞いた歌は今から見ればどこの国の話だと思うかも知れないほど古いが当時はそれが生活の中にあるものだった。ずいぶん前にも「里の秋」のことを書いた。お父さんは何処にいるのだろうと思っていたが戦地へ行っていたと後でわかった。それ以外にも「旅愁」「あかとんぼ」「ちいさい秋見つけた」など、母の節回しで母の声で聴いた。母が亡くなってもう20が経つ、子はいつまでも子だと思う。
nice!(0)  コメント(0) 

鉄オタですって? [懐かしい]

民進党党首選の前原候補は鉄オタだそうだ、取材の記者にC57がとか言ったそうだ。別に前は候補の話をするつもりはなく、記者さんには鉄オタでなくてもC57だけでSLとわかって欲しいものだなと思った次第。私もSL好きだが実際に普段乗っていた最後の世代だからこその愛着がある。煙の匂い、遠くから聞こえる汽笛の音、激しい息遣い、停車するときのスチームを吹き出す音と軋む音、真鍮ドアの木の客車、送辞のワックスの匂いどれをとっても懐かしい。子供の頃の身近なSLはC58と86が客車で貨物が96だった、C58は新しく洗練されたフォルムだが86と96は大正時代の無骨な車両だった。支線にはC12が配属されていて往復運転の帰りはバックで使用されていた。また、96の重連でスイッチバックを登るのも力強かった。これだけで住んでいたところの線区がわかってしまう人もいるだろうな。SLは石炭と水を積み込むため駅にいた、日がら眺めているのが楽しみだった。
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | - 懐かしい ブログトップ